日本の就労形態はバリエーションはあっていいが正規・非正規の区別は不要。
働き方に正規、非正規との分けられていることこれもおかしいのではないか。
本来、正規・非正規は分けずに、同一賃金で、時給計算ですればよいのでは
ないか。その他の条件もできるだけ同一にするようにする。
それにより、いままでに正規社員、パート、アルバイト、派遣、フリーランスは働くがわの立場で雇う側はすべて正規社員として雇うようにする。
これで働き方による労働時間による賃金格差、労働条件の差を解消する。
これが難しいなら外国が日本を見習う労働のしくみであった終身雇用、年功序列賃金などの復活する。何か、日本はなんでも形を整える悪しき慣行がある。これが日本の経済がだめになってきている。
成果主義、年齢も関係なく賃金の設定、いつでもやめれられる働き方をする会社もあり、従来の日本型の労働慣行でやる会社があってもいいのに、なぜ新し方に揃えようとするのがおかしいと思う。
アナグロのよさもあるのになんでもデジタル化がよいような考え方が、日本独特のみな同じにしなければいけけない思考である。
そこで考えれば、なぜ学生が制服を多くの学校で着せられているのか。でも私服も認められる学校もある。つまり、制服がある学校もあり、私服の学校があってもいいのが望ましいのかもしれない。
デジタルでいえば、デジタル庁をつくったらアナログ庁も必要になると思う。それを時計の表示で考えてみれば、デジタルが瞬時に今何時はわかりやすいが、あと10自15分後は、時計のなかではすぐにはわからないがアナログ表示の時計では文字盤と針からすぐにわかる。だからすべて時計をデジタル表示にする必要はない。
このように考えれば、正規社員でさまざまな働き方があり、賃金格差、その他の労働条件も同一であればよいと思う。
よく正規の賃金・ボーナスとか非正規の賃金・ボーナスなどがいわれることじたい、社会が差別感をもたせる。正規社員と非正規社員の階級をつくりだしてきているようにもみえる。当然、履歴・紹介でもこれを区別して表記・報道されるのもおかしいと思う。
これはいはば、経営側・使用者側に非常に都合のよいシステムでもある。一部、これにはまっている人もいるが満足しているのはほんのひと握りのい人だと思う。